コラム特集
ビハインド ザ “イナムラクラシック”
9/25 午後1時、一本の電話が入った。
それは「イナムラサーフィンクラシック インビテーショナル」開催決定の公式アナウンス。
ご存知の通り「イナムラクラシック」は、日本のサーフシーンにおけるBig Waveサーフコンテストの先駆けであり、相応しいクラシカルウェイブが現れたときのみ開催される伝説のコンテスト。
1989年の開催を最後にその機会に恵まれなかった本大会が、24年振りに開催することとなった。
開催当日の朝。一見して静かな時間帯はあるものの、セットが入れば頭半前後のサイズ。
伝説の“稲村アウトサイド”とは言えないまでも、コンテスト開催に向けた準備が予定通りに進行。
この“イナムラクラシック”の開催は、各サーフィンメディアの報道を皮切りに、ローカルTVやラジオ局等のマスメディア、サーファーを中心としたソーシャルメディアで一気に情報が拡散。
近隣の駐車場は夜明け頃から満車となり、海沿いを走る国道134号線も早々に渋滞。朝から沢山のギャラリーが集まり始める中、午前8時より遂にその幕を開けた。
「イナムラクラシック」は、昨年のJPSA/ASPランキング上位者と歴代優勝者、そして日本を代表するビッグウェイバー&ローカルサーファーの全40名の招待選手で競い合う大会。
24年振りの開催ということもあり、初代チャンピオンである善家誠の息子“善家尚史”をはじめ、鎌倉のレジェンドサーファー抱井保徳の息子“抱井暖”、“抱井理樹”など、過去のチャンピオンや歴代招待選手の2世サーファーも多数エントリー。
若手のトップサーファーと、往年のレジェンドサーファーが入り乱れる形でコンテストが進行する中、現役プロと肩を並べて目立っていたのが、ビッグセットを掴んで会場を沸かした関野聡と、ローカルナレッジを活かして見事セミファイナルまで勝ち進んだアマチュアの抱井暖。
80年代のトッププロであり、前回大会にも出場している関野聡のラウンドアップは大会を盛り上げた。四半世紀前の前回大会の映像が蘇る瞬間でもあった。
コンテスト後半にはギャラリーの数も更に増え、ヒートを終えた選手には沢山の歓声や拍手が送られるなど、近年のサーフコンテストにはあまり見られないような光景が印象的。
また、各選手もその声援に応えるべくハードなチャージを繰り返していた。
Photos by colorsmagyoge
大会後半になるとセット間隔が長くなり、波の取り合いも激化。
オフショアながら強まる風の影響も入った厳しいコンディションの中、ファイナリストに選ばれたのは、地元湘南の大橋海人、田嶋鉄兵、椎葉順、田中英義の4名。
ヒート前半、バーティカルなリエントリーをメイクし、バックアップも揃えた田嶋鉄兵が優勢かと思われたが、数少ないセットに的を絞り、カービングとリエントリーのコンビネーションでハイポイントを叩き出した大橋海人がクロスヒートを制して見事栄冠を手にした。
コンテストを通して好調だった大橋海人は、終始リラックスした様子で全ヒートを1位でアップ。
「自分のサーフィンをすることに集中し、その結果として“優勝”が付いてきた」と語った。
優勝後のインタビューでは、2年前に他界した父、大橋勧も過去にこの大会の招待選手であり、この大会に出場できたこと、そして優勝できたことがとても嬉しいと語り、感動を呼んだ。
Photos by colorsmagyoge
サーフィン業界はもとより、TV局や新聞社などのマスメディアをも巻き込んだ今大会。
ほとんどの方が前日、または当日に知ったであろう状況にも関わらず、約3,000名と言われるギャラリーを集めたこと、当日の情報を聞きつけ会社を早退してまで観戦に訪れたサラリーマンサーファーや、地域の親子連れなどの一般人をも巻き込んだことは大きな意味があったと思える。
不況と言われるサーフィン業界、東日本大震災など、様々な時代の流れを経ての開催で多くの注目を集めた今大会。
次回もぜひ、素晴らしいコンディションでの開催を願うばかりだ。
イナムラサーフィンクラシック インビテーショナル
オフィシャルサイト
http://www.inamuraclassic.com/
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