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「コロヘ・アンディーノのホームタウン、サンクレメンテ(前編)」 - F+コラム

Text by つのだゆき

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ちょっと前に日本のBEWETと契約したこともあって、先月コロヘ・アンディーノが来日していて、東京、千葉、静岡、宮崎と、日本のあちこちで2%ユニオンのクルーや日本のBEWETチームと共に、子供たちにコーチングなどを行ったり、彼らのサーフムービー「Hijinx(ハイジンクス)」のプレミア試写会を行ったり、精力的に活動した。
2%ユニオンというのは、コロヘと彼のフィルマーを長いこと勤めているジェイコブ・ヴァンダーワークが立ち上げたブランドというかプロジェクトの名称。何やら意味ありげな2%という命名だけど、特別な意味はなくて、いくつかある候補のうちからコロヘの子供が選んだのでこれに決定ということらしい。

グリフィンとクロスビーのコラピント兄弟、コール・ハウシュマンド、ケイド・マットソンらのサンクレメンテクルーたちも協力しているので、ベルズでコールが優勝し、グリフィンが2位で、2%ユニオンが表彰台を占拠したときには、グリフィンが2%の話をちょっとしていた。
サンクレメンテを中心に才能ある若手を発掘し、サポートしようというのがメインの活動主旨だけど、根底にあるのは
Make the surf industry great again
の思いだ。

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父親のディノから親子2代にわたってCTで活躍してきたコロヘも、すでに30歳で2児の父。とはいえ8月のUSオープンでの活躍はまだまだ現役といえる内容だったと思うが、今度はグロムのためにひと肌脱ごうというわけだ。
アメリカのサーフインダストリーの中心地であるサンクレメンテで生まれ育ったコロヘは、その栄枯盛衰を目の当たりにした世代といえる。
90年代は、サンクレメンテがアメリカのサーフィン業界を引っ張っていたことに間違いないと思う。メディアを含め、ボードメーカー、サーフショップ、ウエットスーツカンパニー、そして世界で活躍するサーファーたちと、サンクレメンテがすべてのサーフカルチャーのムーブメントの中心だった。

クリスチャン・フレッチャー、マット・アーチボルド、クリス・ワードらのエアリスト軍団。彼らがいなければ今のエアーは生まれていないし、それをはぐくんだのは多彩なビーチブレイクからロウワーのようなポイントブレイクのあるサンクレメンテの波と、サンクレメンテ特有のカウンターカルチャー精神だ。ケリーたちのニュースクールの優等生サーファーのムーブメントに対するカウンターカルチャーとしてのサンクレメンテの反骨精神というか、決して体制に従属せず、当時今のように認められていなかったエアーのようなスケートボードと融合した技を、正しく評価されなくても自由に繰り出していたのがサンクレメンテのサーファーたちだった。
業界のほうではトラクションパッドのアストロデッキ、シェイプ職人ティミー・パターソン、その弟子筋のマット・バイオロス、のちにメイヘム、ロストという巨大カンパニーを生み出す大御所シェイパーらがいた。

サンクレメンテサーファーには明確なカラーがあり、当時は、あぁ、サンクレメンテなのね、というだけでそのサーフスタイルやファッション性、哲学までが理解されたほど、特別な存在だった。
そしてそこにはそれを撮影するカメラマンやビデオグラファーも多く住んでいたし、メディアのオフィスもあった。だからこそ、彼らは誰よりも目立つことを望んだし、それがお金になっていく時代だった1994年生まれのコロヘは、その真っただ中にいたといえる。
……後編に続く。

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