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「2019年スリランカ20周年の旅⑯」

ハルさんこと福島晴之氏のコラム『One Earth』

前回は思い出深い18年前にスリランカで挙げた結婚式の話をお届けしましたが、今回はある連絡から始まった日本のプロコンテストとスリランカの繋がりの話。

ハルさんこと福島晴之氏、マンボーが大きな架け橋になったストーリーです。




JPSAがやってくる

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『A Frame Surf Shop』を立ち上げ、2年目のスリランカにて。

ある日、サーフトリップの専門会社サンライズホリデーの担当者から連絡があった。
スリランカでJPSA(ジャパンプロサーフィンアソシエーション)の大会ができないか?との話だった。

すぐにその話をマンボーにするとローカルからローカルへと話が進み、満場一致で受け入れるということになった。
その旨を日本サイドに連絡するとまたすぐに返事がきた。

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(A Frame Surf Shop)

それから間もなくして当時のJPSAの川南理事、今は亡きカメラマンのワンさん(犬尾邦彦氏)、ズッチョこと河野正和プロと原田正規プロの4人が視察のためにスリランカにやってきた。
僕はローカルとJPSAとの懸け橋的な役割りをさせてもらい、彼らと共に飲食もサーフィンもしたのだ。

彼らのサーフィンスキルとカリスマ性にはローカルはもちろん、ヒッカドゥワに滞在していた外国人サーファー達も驚いていた。
この視察に来てくれたクルーたちをマンボー始め、ローカル達は心から歓迎した。

話は順調に進み、2002年、遂に大会が開催されることになった。
ヒッカドゥワのポイントのキャパシティを考慮してJPSAのラインキング上位16名のサーフスターで争われる運びとなった。

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始めてのJPSA開催。

まるで夢のような事態にヒッカドゥワの町がお祭り騒ぎになった。
ギャラリー、警察、国の官僚も含め、沢山の人達がビーチに足を運んだのだ。

波は頭前後で午前中は緩いオフショア、午後はサイドからの風で少し面が荒れてしまうが、16人での戦いなのでコンディションの良い時間を中心にヒートが進められていった。
目の前に普段サーフィン雑誌で見ているトップ選手がリップしまくっている。

前回、視察に来てくれたときに仲良くさせていただいたワンさんが「JPSAの16位以内に入っている選手は更にサーフィンのレベルが違うんだ」とカメラのファインダーを覗きながらぽそりと言ったことを今でも覚えている。

波も良かったので目の前で繰り広げられているセッションは本当に凄いとしか言いようがなかった...。

この大会を制したのは浦山プロだった。

大会の後にはローカル達との親善試合が行われ、A-Frameの若手もJPSAのプロから沢山の刺激をもらっていた。
大会は大成功を収め、最終日夜のパーティは選手、ローカル、ギャラリー達も加わってのパーティーナイト。
深夜遅くまで盛り上がったのは言うまでもない...。

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(盛り上がった大会後のパーティー)

ショートボードでの大会で成功を収めた翌年からはJPSAのロングボードの大会が数年間に渡り開催されることになった。

ローカルの中には他の土地の波を知らないサーファーも沢山いる。
彼らは自分達の地元の波が認められ、世界から沢山のサーファーが来るようになり、日本のJPSAというプロサーキットまで開催されることになった事をとても誇りに思っているようだった。

1999年にサンライズホリデーという会社のスタッフが僕に薦めてくれたスリランカという旅先、その縁が繋がって実現した今回のJPSA。
本当に人生は何が起こるかわからない。

※現在はサンライズホリデーの元スタッフがU-Tripという会社でツアーのオペレーションを行っているようです。

続く。

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