コラム特集
「2019年スリランカ20周年の旅⑩」
20年前に初めて訪れたスリランカから共にサーフショップを作ったマンボーとの出会いやショップ立ち上げの話など今回のストーリーはいつもより濃い内容が続いています。第10話目となる今回はハルさんこと福島晴之氏が出会った外国人サーファーの中からインパクトの強かった3人をピックアップ。
彼らとは20年経った今でも連絡を取り合う仲だそうです。
スリランカは地理的にアメリカから遠いのでアメリカ人の渡航客は少ない。
オーストラリア、ヨーロッパのほとんどの国々、ロシア、日本、最近は韓国や中国からも旅行社が増えている。
そして、中東のイスラエルからも沢山のサーファー達がやってくるのだ。
今回は日本人以外で印象に残った仲間たちを紹介しようと思います。
アラスカンガール
ある日、マンボーのゲストハウスにアラスカからの18歳の女の子二人組がやってきた。
話を聞くと今回が放浪の旅の始まりだという。
「えっ?」
僕もマンボーも目を白黒させた。
彼女達は1か月間アラスカで船に乗り、キングクラブ(蟹)や鮭の漁に出てお金を稼いだらしい。
船から落ちると冷たい海に放り出されて命の保証もない危険な漁。
しかし、大漁だと100万円近く稼げるとのことで、二人共その漁にチャレンジして大金を得たそうだ。
18歳の女性が漁師?
僕の頭は?マークだらけだった...。
それから彼女達は2か月間マンボーのゲストハウスに滞在した。
僕やローカル達と仲良くなったので、当然のようにサーフィンを始めた。
名前はTivaとRhema。
二人ともスリランカを後にしてコスタリカ、メキシコ、リユニオンなど世界中を旅していた。
最近の近況を聞くとRhemaは数年後にアラスカに戻ったが、Tivaの方は20年経った今、ドミニカ共和国でサーフィンをしているという。
そして、まだまだ旅を続けているようだった。
世界は広い。「十人十色」とはよく言ったものだ。
イスラエルの紳士シェイパー
中東の国、イスラエルからもからも沢山のサーファーがやってくる。
血の熱い人が多く、海の中でのトラブルも結構多いのだが、僕の仲良くなったHaniというサーファーはとてもジェントルなシェーパーだった。
当時、イスラエルには二人しかシェーパーがいないとHaniは言っていた。
Haniはサーフィンも上手いが、海の中で決してがっついて他のサーファーと波を奪い合うような事をしなかったので、いつも僕たちは波を分け合っていた。
僕は彼の情熱に心を動かされてHaniの作るサーフボードに数年間乗る事になった。
そして、彼の誘いで数年後に僕はイスラエルにサーフトリップに出かけたのだった。
彼は今もイスラエルの都市テルアビブでイスラエルNo1のシェーパーとしてボード作りに励んでいる。
陽気で人懐っこいイタリアンサーファー
「A Frame Surf Shop」をオープンさせた年、初めて僕からサーフボードを買ってくれたのがイタリアのフィレンツェから来たFabrizioだった。
初心者だった彼はなんの疑いもなく僕が薦めるサーフボードを買ってくれた。
彼はヒッカドゥワに1か月ほど滞在していたので、自然と仲良くなった。
2年目、Fabrizioはワインとチーズをお土産に突然「haru! I come with nice wine and nice cheese!」と叫んで再び「A Frame Surf Shop」に遊びに来てくれた。
彼は海の中でも陸の上でも本当に人懐っこくて仲良くなるとまるで家族のように接してくれる。
大陸のヨーロッパでも国によって国民性というのがはっきりしているのが面白い。
そして、Fabrizioの周りには沢山の友達がいて大勢のイタリア人がヒッカドゥワにサーフィンしにくるようになった。
僕がスリランカを離れるまで毎年遊びにきてくれるようになったFabrizio。
20年経った今でも僕の友達だ。
続く。
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