コラム特集
「2019年スリランカ20周年の旅⑨」
ハルさんこと福島晴之氏のコラム『One Earth』「2019年スリランカ20周年の旅」の第9話目は前回のオフシーズンの過ごし方の続き。
オフシーズンのヒッカドゥワを離れ、タイのバンコク、バリ島経由。更にスンバワに寄り道して最高の波を当てて一路日本へ。
今回はマンボーが初来日。
そして、ハルさんの気ままなサーフトリップへと続きます。
ヒッカドゥワがオフシーズンを迎え、僕はインドネシアなどを旅しながら日本に一時帰国した。
風来坊となった僕は、もはや日本に帰っても住む場所がなかった。
サーフィンをやらないのでこのコラムにはあまり登場しないが、僕には2歳離れた仲の良い兄がいる。
世田谷に住んでいる兄に相談すると居候させてもらえることになった。
その変わり、僕は食事、洗濯、掃除、犬の世話など家事全般を担当した。
更に午前中はせっせと弁当を作って兄の経営する会社に1コイン弁当を売りに行かせてもらった。
数時間料理を作るだけで1日平均3000円ほど稼げたのだった。
そのお金は海に行く交通費に費やしたが、30歳を過ぎた弟を兄貴は文句ひとつ言わず応援してくれた。
マンボー来日
帰国して数週間するとスリランカからマンボーが日本にやってきた。
スリランカ人の彼が日本に来るのにはビザの問題などで大変な労力がかかった。
まず、ビザを取るのにはスポンサーレター(身請保証)などをスリランカにある日本大使館に提出して審査がある。
それは不法滞在者にならないという保証のためなのだ。
ヒッカドゥワのシーズン中に遊びに来てくれた303サーフボードのディーラー船江さんという友人がマンボーの保証人になってくれた。
マンボーは数日兄の家に一緒に泊って東京観光をした。
渋谷のスクランブル交差点を見せたときのマンボーの驚いた顔はまさに目がまん丸だった。
スリランカに取材に来てくれた大阪のテレビクルーに連絡を取ると是非日本に来たマンボーも取材したいという話になった。
マンボーと僕は湘南、千葉などに行ってサーフィンと取材を楽しんだのだった。
その番組は当時数回に渡って関西地方で放送された。
マンボーと日本を周遊する計画だったが...
僕はマンボーとサーフィンしながらスリランカに来てくれた日本人サーファーを訪ねる旅と称して日本を車で1周するという計画を企てていた。
しかし、マンボーは子供がまだ小さかったのもあって来日して2週間ほどでスリランカに帰ってしまった。
残された僕は仲の良い友人を誘って40日間車に寝泊まりしながら九州までサーフィントリップに出かけたのだった。
丁度、台風シーズンだったので、四国、天草、宮崎で台風スウェルを待ち伏せして日本とは思えないような素晴らしい波を当てることができた。
しかも、一人8万円という驚きの低予算で実現できたのだった。
秋になり、日本が涼しくなりだした頃、僕は再び旅支度を整えタイを経由してスリランカへ向かった
2シーズン目のスリランカも素晴らしいことが待ち受けていたのだった...。
続く。
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